「ザハ、危なイ!」
その声が耳に飛び込んできて、咄嗟に私はアスファルトの歩道に伏せた。
瞬間、背後から轟音。砕けたガラスの落ちる乾いた音。そしてむっとするような熱風が背中の上を駆け抜ける。
数秒か、数十秒か、耐えるようにじっ、と伏せていた私はゆっくりと身体を起こした。
立ち上がり、背中を中心にあちこち確かめてみる。うん、怪我は無さそう。ストッキングは駄目になってしまったけど。
「怪我はないカ?」
「ん、たぶん大丈夫」
少し後ろで同じように伏せていた男に声を掛けられ振り返った私は、思わず絶句する。
視界の奥、十数メートル先。たった今通り抜けた雑居ビルの入り口が、抉り取られたかのように吹き飛んでいた。
悲鳴や叫び声とともに驚き戸惑う人々の姿がぼんやりと視界に映る。遠くからサイレンの音も響いてきた。
なんなんだ、これは。
ここはゲームの中でも戦場でもない。現代日本の中枢、東京だ。
あまりの現実離れした光景にしかし、私の心はなぜか落ち着いていた。
「これが、奴らのやり方ダ」
隣で呟く男に、私は恨めしげな視線を向けた。
これも全部、私の横でキリッとキメているアラブ人、マフディ・イブン・ムスタファのせいなのだ。
~ここでOPが流れる~
クレイジーサイコザハ 第2話「アンタ あの娘の何んなのさ」
事は数十分前に遡る。
「لطيفة لمقابلتك. اسمي مافدي حتى مصطفى.」
「あのさ、私あんたが何言ってるか分かんないんだわ。せめて英語で話せよ」
「私の名前はマフディ・イブン・ムスタファと言いまス。ザハ、あなたに会いにきましタ」
「日本語話せるのかよ」
もう強く突っ込む気力も無かった。
*
さらに一時間ほど前のことだ。
私は職場のビルから清々しい気分で外に出た。まだ夕方。日が沈む前に退社するなんていつぶりだろう。
今日は珍しく定時で上がれた……というより無理矢理切り上げて帰ることにしたのだ。
作業を押し付けに押し付けられ、予定を詰めこみに詰めこまれ、配役を振りに振られ。
もう限界だった。限界OLだ。限界OL大爆発寸前だった。
このままでは職場の長机を大剣に見立てたリアルモンスターハンターをソロプレイし始めかねないと脳内からアラートが出たため、すべてを一旦忘却の彼方に追いやって帰ることにしたのだ(上司が何か言っていたが無視した。あーあー聞こえなーい)。
そして職場を後にした私は、帰宅前に一息つこうかとカフェの看板をなんとなく眺めながら歩いていた。その時だった。
「ヴァッ!?」
雑居ビルの入り口から伸びた手に、突然左腕を引かれた。思わず変な声が出たが恥ずかしがっている場合ではない。
不届きな輩を射殺してやるくらいの気持ちで目をやれば、浅黒い肌をした若い外国人の男が懇願するような視線を向けている。
「بسرعة. يرجى تأتي هنا.」
何を言われているのか分からないが、あまりにも必死な形相をして小声で何か口走っていた。たぶん、早く、とかそんな意味じゃないかと思う。
などと頭のなかでは考えつつも全く動こうとしない私にしびれを切らしたのか、外国人の男は手を離すと、きっ、と私を見据えてきた。何かするつもりだ。
咄嗟に逃げることもできず、思わず身構えた私に向かって、男は流れるように膝をつき、両手をつき、最後に頭をついた。
DOGEZAだ。
突如ジャパニーズ・ドゲザを決める外国人とそれを見下ろす私。当然、通行人たちは不審な目を向けてくる。
このままではそういうプレイだと思われかねない。思わず私は口走っていた。
「わかった、わかったから!」
私の言葉に男はぱっと顔を上げると、爽やかなスマイルを浮かべたまま雑居ビルの奥へ向かった。そして振り返って手招きをしてくる。
普通だったらありえないだろう。そのまま逃げ出すべきだ。
しかしその時の私はどうかしていた。
ええい、ままよ! と、私はビルの中へ踏み込んでいったのだった。
*
「……えーと、つまりアンタが、私のTwitterにDMを送っていた奴ってことね」
「はイ」
「"この世界は終わりに向かっています"って怪文書も」
「怪文書だなんて、ボクは」
意外にも、ビルの内部は小奇麗なオフィス然とした内装をしていた。
不良漫画に出てくる鉄骨とかが転がった廃墟みたいなところを想定していたから拍子抜けだ。
応接室のようなところへ通された私は、促されるまま高級そうなソファに腰掛ける。
男は明らかにいいお値段のしそうなティーセットに、これまた高そうな香りのする紅茶を二人分淹れると、ローテーブルを挟んで向かい合うように腰掛けた。
溜息を吐いて目の前の男を見た。
見た目は、まあ、悪くはない。
スラリとした高身長に甘いマスク。彫りの深さも相俟って自称のとおり王子然した感じはある。
しかしワイルドさが圧倒的に足りない。ナヨッちい奴は好みじゃないんだよね。
「どうゾ、良かったら」
差し出された紅茶をじっと見ていると、男――マフディは自分の紅茶に口をつけた。妙なものは入っていないというアピールなのかもしれない。
「そんなことより、私はただ早く帰りたいんだけど。あのDMは何? どうやって私のことを知ったの? なんで私の顔を知ってるの? 直接アンタがここに来たのはなんでなの? アラブからわざわざ来たの?」
「魔法の力でス」
「あ?」
矢継ぎ早に質問を投げる私に向かって、マフディはウインクをした。マジで苛つくなこの男。
「怒らないデ、ちゃんと説明しまス」
「おう、あくしろよ」
~CM~
仮想通貨からHFした雑記ブログが遂に出た~!!
不定期更新!!!
~CM終わり~
クソ長い上にいちいちキメ顔を挟んでくるせいで沸々と怒りのボルテージが上がっていくのをなんとか耐えきった。
彼の語った話は、とても信じられるものではなかった。要約すると、
曰く、ある組織が世界の支配を目論んでいる。
曰く、彼らは仮想通貨を悪用しようとしている。
曰く、それを解決できるのは日本に住む人物、盛土ザハであると預言を授かった。
荒唐無稽、無茶苦茶な話だ。まだ月刊○ーの方が信憑性が……まあどっちもどっちか。
そういえば。
「あのさ、どうやって私のこと、顔とか名前とかを知ったのかまだ聞いてないんだけど」
「ああ、それハ」
マフディはこともなげに言った。
「ハッキングでス」
「え」
「今の世の中、個人情報とインターネットは密接に結びついていまス。私からしたラ、世界中の人のリアルタイムで更新される名簿が自由に閲覧できるようなものでス」
すらすらと述べやがる。こいつめっちゃ日本語上手いじゃねえか。
「コッワ」
「まあ信じられないのも無理はありませんしかシ……!? まずイ! 見つかっタ!」
ドヤ顔で語っていたマフディが突然焦りだす。何が何だか分からない。あ、紅茶飲んでいいかな。
「この場所が組織にばれましタ! すぐに脱出しましょウ!!」
ふーんそりゃ大変だね。あ、この紅茶めっちゃ美味しいんだけど。
「ザハ! はやク!」
心が疲れ切って現実逃避モードに入った私の手を取るマフディ。私は引きずられるように再びビルの外へと出たのだった。
*
「……そして、この惨状ってわけね」
改めて吹き飛ばされたビルの入口へと目をやる。
爆心地と思われる範囲を中心に、灰色の壁や歩道が真っ黒になっていた。
相当高い温度だったのか、鉄筋も溶けるように抉れている。
あと数十秒遅かったら、と今更ながら背筋に冷たいものを感じた。
割れたガラスも合わせれば結構な範囲に被害が出ていたが、幸い怪我人はいなかったようだ。
誘爆や引火の危険を考慮しているのか、野次馬たちもかなり遠巻きに現場を眺めている。
ふと、ガサ、という音とともに瓦礫の中で何かが動いた気がした。燃え尽きた何かが崩れたのだろうか。
しかしガサッ、ガサッ、と断続的に音は続いている。
ガサッ、ガサッ、鳴り止まないその音はむしろ次第に大きくなっているようだ。
次の瞬間、ひときわ大きな音が響く。
そして訝しむ私の視界に、信じられないモノが映し出された。
「あーあ。失敗しちゃったァ゛」
それは少女のような姿をしていた。
至る所にフリルの付いたワンピース。ピンクのニーハイソックス。
そのどれもが、真っ黒焦げな瓦礫から出てきたとは思えないくらい汚れ一つない綺麗なものだった。
しかしそんなことはどうでも良かった。そんなことが霞むくらいそいつにはおかしなところがあった。
そいつには――顔が、無かった。
本来顔のあるべき首から上に、何もないのだ。
「ねェ~~~~~~~~~びっくりしたァ゛?」
いったいどこから声を出しているのか。
アレがなんなのかはわからない。でもこれだけは確信が持てる。
アレはマジでやばい。
私の防衛本能が全力で警鐘を鳴らす。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。
逃げなきゃ。とにかくどこかに隠れないと。
しかし冷や汗を流しながらも、縫い止められたように私の脚は動かなかった。
なんで! やばいって! 動け! 動けよ!
静かにパニックに陥る私の肩が、ポン、と叩かれる。
そしてマフディは、アイツの視線を遮るようにスッと私の前に出た。
「ボクに任せて下さイ」
首だけで振り返り、キザなウインクを寄越す。
「マフディは、日本の言葉で、導き手という意味なのでス」
次の刹那、音も無く切断されたマフディの左手が宙を舞った。
私は声を出すこともできなかった。
(続く)
~ED が流れる~
『次回予告』
アラブの王子マフディ・イブン・ムスタファと対面したザハ。
なんだかよくわからんうちに話を聞かされ、なんだかよくわからんけど逃げ出したら、なんだかよくわからんけど爆発した!!!!!!
そして爆発のあと瓦礫から現れたのは、なんだかよくわからんヤバイ奴!!!!!!
ザハはいったいどうなっちゃうの!?!?
マフディくんの左腕の運命は!?!?
次回、クレイジーサイコザハ 第3話「吉牛は生姜焼き定食が一番美味い」
絶対見てくれよな!